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敗れてなお強し 駒苫野球

第2弾・PC入院をさせたいんだけど…
書き留めておきたい記事が多いし、作業も進みません…。
本館、放ったらかし状態(苦笑)

香田監督が種を植え続けた事が花開いた2004年。
毎年練習方法を変え、監督自身が子供の頃に高校野球のお兄ちゃんに
魅了された思いを土台にここまで走り続けたそう。
メンバーが変わっても、先輩達から受け継いだ伝統は変わらない。
今夏の甲子園を経験した2年生は、控え投手の2人だけ。
この2人が得た大きな栄養と駒苫の伝統に更に磨きをかけて、香田監督を
信じてついて行って欲しいです。

『敗れてなお強し駒苫野球』

某氏が言っていた様に「最高の負け方」をしたからこそ、伝わる強さだと
あらためて感じました。私がね。

新聞記事の引用
■敗れても なお強し駒苫/駒苫伝説は終らない
■〃             /妥協せず、ブレー
■〃             /香田野球の源流
■全国に広がる「駒苫野球」 教え請う他校監督ら





■駒苫伝説は終わらない。
歓喜の連覇から1年あまり。
3戦連続の逆転劇、延長15回引き分け再試合の死闘…。
決勝まで駒を進めたこの夏の戦いも、北海道民に夢と希望を与えてくれた。
緊急連載「敗れてなお強し 駒苫野球」で偉大な足跡をたどる。

初優勝した早実の和泉監督がお立ち台で声を大にした。
「駒大さんに強くさせてもらった。こんなチームを毎年つくりたい」。
73年ぶりの3連覇に挑み、さわやかに散った駒大苫小牧がこの夏もまた、
夢舞台で強烈なインパクトを残した。

常勝チームを率いるプレッシャーは並大抵ではなかった。
香田誉士史監督(35)はこの日、帰道後の検査入院を公表した。
5月1日の監督復帰後、胃薬を手放せなかった。
大会期間中、おう吐や胃痛に悩まされた。「体調がずっと良くありませんでした」。
体調不良で全日本選抜チームのコーチ就任を辞退した。
心血を注いできた代償だった。

香田監督の「進取の気質」が全国屈指の強豪チームを生んだ。
北海道勢の常識を覆す冬期間の雪上練習、練習合間の食事摂取、複数投手&
複数リーダー&複数ポジション制、投手陣のハンマートレ、軽量スパイクの導入…。
今大会前は気功の専門家を招き、講習を受けた。
「固定概念は持たないようにしてます」。
昨秋室蘭地区予選から今大会まで公式戦9大会(出場辞退の今春センバツ含む)
で延べ30人をベンチに入れ、活性化を図った。選手に常に危機感を植え付けた。

躍進の原動力は少年時代と変わらぬ「夢」だった。
小学生の頃、テレビに映し出される壮大な甲子園と池田(徳島)やPL学園(大阪)の
強さに魅了された。「お兄ちゃんたちすっげぇー、と。今でも気持ちは変わりません。
純粋にあのころのままです」。
95年春に縁もゆかりもない北海道で指導者になり「ウチの選手達もあんな
お兄ちゃんになってもらいたい。中途半端は嫌。
絶対に全国制覇をするんだ」と心に誓った。

激動の3年間だった。
04年の初優勝、05年の連覇、そして06年の激闘…。
元部長の暴力事件や卒業生の不祥事およびセンバツ出場辞退の苦難を乗り越え、
駒苫伝説の第1章が幕を閉じた。
この秋、第2章が幕を開ける。

■妥協せず、プレー
73年ぶり2校目の夏3連覇は成らなかったが、駒大苫小牧の強さがあらためて
浮き彫りにされた甲子園だった。
ライバルである鵡川の佐藤茂富監督(66)は「北海道の高校野球に3連覇以上の
ものを残してくれた。冬の雪の上での練習など、今までの概念を覆すことをやる
香田君は大した男だ」と言った。

合同練習を行うなど、最も身近で香田野球に接している苫小牧駒大の大滝監督
(52)が指摘するのは「1つ1つのプレーに妥協しないで取り組んでいること」。
駒苫の練習ではミスが出た時、しばしばナインが自らマウンドに集まる。
そこで時間をかけ、何が悪かったのか、どうすれば良かったのかを反省する。
原因と対策を先延ばしにせず、その場で解決する。
だから同じような場面で同じミスを繰り返さない。昨年2月の徳之島キャンプで
それを見た徳之島高の松元将志監督(33)は「1人のミスでもその都度、全員が
集まるのに感銘を受けた」という。

だから監督に言われなくても自分の判断で動ける。
普段から1つ1つのプレーに真剣に取り組んでいるからこそ、本番で迷いが出ない。
打球がどこへ飛んだら中継の選手はどこにいるべきか。
バックアップする選手はどう動くのか。当たり前のことが迷わずにできる。
競技こそ違うが、サッカー日本代表のオシム監督が「自分で考えて動け」と
指導していることを、すでに駒苫ナインは実践していた。

それは走塁にも顕著に表れる。あくまで先の塁を狙うのはどのチームでも基本だが、
場面場面での判断力が卓越している。
南北海道大会の決勝を戦った札幌光星の合坂真吾監督(30)はそれを痛感する。
「決して足の速さだけじゃない。うちもああいう走塁を目指したい」と言い、新チームの
練習で最重要ポイントに掲げている。

■全国に広がる「駒苫野球」 教え請う他校監督ら
かつて、「北国のハンディ」と呼ばれ、甲子園では負けて当たり前だった北海道の
高校野球。3年続いた駒大苫小牧の快進撃は、そのイメージを一新した。
同校の練習には視察が相次ぎ、同じ練習方法を取り入れる学校も多い。
「駒苫野球」が全国の高校に影響を与えている。

15日午後。3回戦で逆転勝ちしたばかりの青森山田の五十嵐康朗部長(39)から、
駒苫の宿舎に電話がかかってきた。
「あんな打撃がなぜできるのか。どんな練習をしているか教えてください」
駒苫の香田誉士史監督(35)は「特別なことはありません」と答えたが、「2年前に
初優勝してから、『練習を見学したい』という問い合わせがたくさんある」という。

本州の強豪校と呼ばれる学校からも来る。
断っても、一般のファンに混じって見学する監督もいるという。
駒苫が採り入れ、すっかり有名になった雪上ノック。
踏み固めた雪上で、速くて不規則に転がる打球を捕る。今大会、甲子園初出場の
北北海道代表の白樺学園も、昨年末に採り入れた。地方大会の失策はゼロ。
同校の戸出直樹監督(30)は「足腰が強くなり、バランスがよくなった」。

同じく今大会で甲子園初出場を果たした松代(長野)の丸井多賀彦監督(46)は
昨年1月、「同じ雪国で全国制覇できるヒントはないか」と駒苫を訪ねている。
冬の練習量の多さに驚いたという。
雪上ノックは北海道と長野の雪質の違いで失敗したが、丸井監督は練習法以上に
「指導者が本気になっているかどうか、自問自答できるきっかけになった」と話す。

甲子園開幕後も宮崎県高野連が県内の若手監督ら16人を連れて、練習を見学した。
04年夏に甲子園出場した佐土原の大富省三監督(45)は、見学後にこんな感想を
述べている。
「満足せずにより上を追求している監督の姿勢が、選手たちにも浸透している」

■香田野球の源流
史上2校目の夏の甲子園3連覇こそ逃したが、駒大苫小牧・香田誉士史監督(35)が
押し進める野球は間違いなく日本一だということが証明された。
そしてその源流は母校・佐賀商にある。小・中・高と香田監督とはチームメートだった
森田剛史さん(佐賀商野球部コーチ)は、香田野球の精神的な部分は佐賀商野球で
培われたものだという。
「四球でバットをそっと置くこと、攻守交代時の全力疾走は今でも佐賀商でやっている
ことです」。

攻守交代時の全力疾走は今では鵡川をはじめ多くの高校が取り入れているが、
駒大苫小牧では香田監督の就任後は常にその姿勢でやってきた。
四死球で一塁に向かう際にバットを放り出さず、そっと地面に置く行為は、大学野球に
進んだ同校OBたちが今も継承している。
野球に対する真摯な姿勢、大事に思う気持ちは香田監督が高校で身に付けたもの。

駒大苫小牧の1日5時間半という練習量も、佐賀商時代の香田監督から見れば
少ないくらいだ。
「香田君は1日1000回バットを振っていた。うちは県立なので練習は午後4時位
からですが、真夜中まで振っていたはず。授業の合間にはダンベルを教室に持ち
込んで筋力を鍛えていた。
チームは皆、練習に熱心でしたが、香田君は特にそうだった」(森田さん)。

再起へのきっかけも母校だった。今年3月、監督を辞任し野球を離れるつらい日々が
続いた時、香田監督は母校を訪ねた。
野球部の練習に顔を出し「ノックを打たせてほしい」と頼んできたという。
「何かを見つけようとしたんだと思います。
暗く沈んだ表情が1日ごとに明るくなっていきました」(森田さん)。

源流は佐賀商野球だが、香田監督はそれに駒大時代のコーチ学、自分流の
アイデアを加え独自の練習方法をつくり上げてきた。
バットもボールも使わない、イメージだけの走塁練習などはマネする者もいない、
まさに香田オリジナル。その野球を引っさげて再び全国制覇を狙う。

by sky-3 | 2006-08-26 15:31 | 2006年高校野球

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